『第一回リカバリー・パレード「回復の祭典」in関西』を振り返って

 昨年の6月以前に、リカバリー・パレードジャパンの新宿(東京)メンバーから、関西でもパレードをしませんかとの打診があったようです。それから、協力者の募集が始まりました。私にもフェイスブックを通じて案内がきました。そして、有志が集まった実行委員会が立ち上がり、準備委員会を毎月開催するようになりました。最初に検討したのは取組み規模です。大中小の素案を作り検討し、小規模で取り組むことを準備委員会で決めました。大まかな予算が決きまりましたので、資金集めの検討をしました。当初の資金は、毎回の準備委員会出席者からの献金だけで、これだけではチラシ作成もままならない状態です。手分けして資金調達に取り組みました。①広く賛同者に呼びかけ寄付を募る②依存症専門病院を訪問して寄付をお願いする③助成金申請する④その他です。①②では、複数の暖かいご寄付をいただきました。これにより、チラシの作成や若年層向けマンガそして関西のロゴマークを作成するめどがつきました。③は、大阪府から福祉基金地域福祉助成金をいただくことができました。最後に④ですが、クラウド・ファンディング(朝日新聞社A-PORT)にプロジェクト応募しました。ここでも、多数の支援者から小口のご支援をいただくことができ、プロジェクト目標金額を大幅に超えて達成することができました。これらにより、パレード全体の取り組みや関西オリジナルのうちわそしてTシャツを作成するめどがついたのです。何とか最大の関門である資金調達ができました。並行して、5月にプレイベント「回復の集い」を開催する(京都)、9月にパレードを実施する(大阪)を決めました。そこで、具体的に進めるにあたり役割担当を決めました。プレイベントリーダーを出原和宏氏、コーラス隊リーダーを金銅良明氏(演奏担当を矢野勉氏と池田一三氏、矢野氏は関西オリジナル曲の作詞作曲も実施)、パレードリーダーを森脇高好氏、当日フォーラムリーダーを加藤武士氏、グッズリーダーを大久保武氏にお願いしました。その他にも、実行委員会メンバーが熱い思いで取り組みました。実質一年間という短期間で開催することができたのは、実行委員会メンバーのたゆまぬ努力と他地域のリカバリー・パレード実行委員会のご支援があったからです。

 パレード当日の天気予報は曇りのち雨、ちょうどパレードの時間帯が雨です。しかし、パレード中は降らず、終着点についてから雨が降り出しました。奇跡のようなタイミングです。全体集合時間の十一時三十分となり、隊列を組むために整列していただきました。横に並んだ全体を見ると凄い迫力です。天候のこともあり、想定の参加者(200名)が集まるかどうか心配でしたが、大幅に超える225名の参加者が集まりました。不安が感動と感激に変わった瞬間です。今まで皆さんと共に、汗をかいて準備をしてきて良かったと目頭が熱くなりました。定刻の12時になり、所轄警察署の規制を受けながら、パレードは靭公園(本町)を後にして出発しました。先導車を先頭に御堂筋へと向かいます。シュプレヒコールやオリジナル曲の合唱、そしてリカバリー・パレードin関西の横断幕、各参加団体の旗やのぼりなど存在感が溢れ返っています。関西でも指折りの繁華街でありメインストリートである御堂筋を、回復を祝い・回復をアピールしながら闊歩できることは喜びであり誇りでもありました。ご協力くださった関係各機関のお陰です。道行く人々の注目がありました。声援もありました。一緒に歩道を歩きだした子ども達もいました。約3キロの道のりでしたが、アッと言う間に終着点の元町中公園(難波)についてしまいました。一旦解散式を済ませ、後片付けをしてフォーラム&コンサート会場の浪速区民センターに向かいます。都合でパレードに参加できなかった方も会場にきてくれていました。垂水病院の麻生先生の記念講演そして参加者のメッセージ(体験談も)を行い、その後にコンサートを行いました。コーラス隊と実行委員会メンバーが壇上に上がり、オリジナル曲を中心に歌いました。そして、会場参加者の手拍子は、コンサートに一体感を与えてくれました。

 多くの方のご支援ありがとうございました。関西でも開催し続ける事ができると、大きな手応えを感じることができました。次回は、もっと多くの仲間と回復の喜びを分かち合うために、今から準備を開始します。今後とも変わらぬご支援をお願い申し上げます。

第1回リカバリー・パレード「回復の祭典」in関西 実行委員長 浅井 登 (2016年)


平成28年9月22日実施のリカバリー・パレードin関西(平成28年10月6日)